暇じゃない 退屈なだけ|小林エマ
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「ちゃんとした大人」「良いお母さん」として、生きるのは暇じゃない。
けれども退屈だった。
—「なんで本なんてつくっているんだろう?」
コスパもタイパも最悪の、本づくりをやらずにいられないのは、どうしてなのか?
【こんな人におすすめ】
・なんとなく退屈だ
・「ふつうに」「ちゃんと」生きるのに疲れた
・没頭、熱中できることを求めている
・何かしたいけど何をしたらいいか、わからない
・創作、ZINEづくりに興味がある
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以下に「はじめに」を全文掲載します。
はじめに
なんで本なんてつくっているんだろう?
私は今、2冊目の個人出版のために、この文章を書いている。
頭の中に書きたいことがたくさんある。
だけど、それらをすべて文字に起こすのは、とんでもなく面倒くさい。
文章を書くのは、とにかく腰が重い。それを本にするとなると、さらにハードルは上がる。
本一冊になるだけの文章量を書かなければいけないし、できあがった文章をパズルみたいに組み合わせて一つの流れをつくらなければいけない。
それができたら今度は推敲・校正をして誤字脱字や意味が通らない文がないかを何度も確認する(それでも誤字脱字は0にはならない)。
表紙も自分でつくる。デザインの勉強なんてしたこともなく、センスも皆無だけど、アプリを駆使してなんとかやる。
表紙と本文ができたら、いよいよ印刷所に入稿する。印刷所選びも自分。品質と価格のバランスに折り合いをつけて印刷所を決める。
背表紙への文字入れ、本文の文字サイズやフォント、余白、奥付けもぜーんぶ自分で決めて、つくる。率直に言って大変すぎる。
ところで、最近仕事を変えた。小学校の図書室で週3回、図書館司書として働いている。
会社員、専業主婦、事務職パートを経て、学校司書になった。この仕事をするのは初めてで、司書の資格をとったのも去年、38歳の時だった。
仕事内容は今までしてきた仕事の中で一番楽しい。でも、まだ慣れないし、通勤時間も以前より長くなり、それなりに疲れる。現在の私は、新しい仕事に奮闘しながら、家事育児をして、2冊目の個人出版のために文章を書いている。これから前述したような作業が待っていると思うと気が遠くなる。やめてしまいたくなる。
ちなみに誰にも本をつくってほしいなんて頼まれていない。だから、やめたいならやめてもいい。誰にも怒られない。やりたいからやっている。それは確かだ。
でも本づくりは私にとって、趣味と定義するにはあまりにも苦しい。趣味なら、もっと気軽に楽しみたい。私は昔から運動が苦手で苦しいことが大嫌いで、マラソンや山登りを趣味にしている人を信じられないと思っていた。本を書く作業は、精神的なマラソン・山登りと表現して差支えないと思う。
じゃあ仕事なのか?というと仕事にしては、お金を稼げていなさすぎる。コスパ、タイパが信じられないほど悪い。お金を稼ぐための仕事ならば、もっと効率よくやりたい。
うーん。じゃあ私にとって、書くってなんなんだろう。強いて言うならライフワークという言葉が一番近いだろうか。
書くことに出会って以来、書かずにいられなくなってしまった。数日サボったり、面倒になったりしても、結局戻ってきてしまう。SNSで発信するだけでは物足りなくなり、苦しんで長い文章を書いて本というパッケージにして、個人出版をするようになった。
そして、それを即売イベントや通販で販売したり、書店に卸したりしている。
数年前の自分が聞いたらすごく驚くと思う。同時に嘲笑されるかもしれない。苦労して、お金にもならないことをしてバカみたいだと。
なぜそんないじわるを言うのか、数年前の私が何を思っているのか、私には手にとるようにわかる。なぜなら私だからだ。
本当はうらやましいのだ。コスパもタイパも最悪で、お金にもならないことにバカみたいに熱中している人がうらやましくてたまらない。
だから、斜めに見て嘲笑して、それができない自分をごまかしている。つらい仕事や、やらなければいけない家事に耐えて頑張っている自分の方が賢くて、正しくて、偉いと思っている。そう思わなければ立っていられないから。
今年で40歳になるのだけど、36歳までの私は、そういう典型的なルサンチマン野郎だった。
「ちゃんとした大人になりたい」「良いお母さんになりたい」とずっと思っていた。でも、「ちゃんとした大人」ってどんな大人なのか。「良いお母さん」ってどんなお母さんなのか。それを自分の尺度で真剣に考えたことはなかった。なんとなくの正解を世間の空気から察していたから。
「ちゃんとした大人」は、正規雇用で、給与、待遇、条件が良い安定した会社に入り、フルタイムで働く。バリバリ働き、出世し稼ぎ、消費もして経済を回していく。
「良いお母さん」は、子供のために自らを犠牲にする精神を常に持ち、自分のことは後回しで家族のために尽くす。家事全般が得意で、いつもニコニコ家族の太陽。夫や義両親との仲も良好。
とはいえ昨今、専業主婦はもう古い。子供が小さいときは仕事をセーブしつつ、子供の成長に合わせて復帰して、バリバリ働く。「ちゃんとした大人」と「良いお母さん」は両立可能。
これが令和のベストアンサー。
ここまではっきり言語化して認識したことはなかったけれど、このような「生き方の正解」は自分の中にしっかり刻まれていたと思う。だから、それを目指していた。「ちゃんとした大人」「良いお母さん」になるために行動していた。何度も離脱しながら、軌道修正して、それっぽい体裁が整うように必死に努力した。信じられるものが他になかった。無宗教だし。
やらなければいけないことは、いつも山積みで忙しい。それなのに忙しさの合間、ふとした瞬間に虚無感が込み上げる。それは20代のときには朝9時から夜23時まで5日間働いた金曜日の夜だったり、30代のときには家族が汚したものを洗濯したり掃除しているときだったりした。
肉体は本当に忙しかった。だけど私の脳みそが問いかける。「私ってこんなことするために生まれてきたのか?」と。
「こんなこと」とは、会社員として自分を押し殺して我慢しながら労働したり、自分のことは常に後回しで家族のために家事に従事することだ。
「じゃあ他に何をするために生まれてきたの?」と問われても、それはわからない。わからないけど、これじゃない気がする。
「ちゃんとした大人」「良いお母さん」として、生きるのは暇じゃない。けれども退屈だった。
世間の正解をなぞってみても、それが自分のやるべきことだとは思えない。没頭できない。
自分ごとだと思えない。
かといって、何が自分のやるべきことなのかもわからない。わからないから安全そうな道をなぞり続け、自分にできないことをしている人を斜めに見て嘲笑する。
そして、心の奥底ではそういう自分のことを嫌悪している。それが2022年までの私だった。
2026年現在の私は、ちゃんとした大人にも良いお母さんにもなれていないと思う。
「私はこれをするために生まれてきたんだ!」という明確な答えが見つかったわけでもない。でも少なくとも、退屈はしていないし、誰かを嘲笑したりしない。昔と同じように、家族が汚したものを洗濯したり掃除していても「こんなことするために生まれてきたのか……?」とは思わなくなった。
この本は「なんで本なんてつくっているんだろう」という自分の疑問を解消すべく書いた。役に立つ話やノウハウは一切ない。
頭を抱えながら、キーボードを連打する現在の私と、ルサンチマン野郎だった過去の私へ愛を込めて。
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判型:B6右綴じ
ページ数:134ページ
発売日:2026年9月13日
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(販売元情報より)
<著者プロフィール>
小林エマ
1986年生まれ。小学生2人の母。
フルタイム正社員(金融→ベンチャー)、専業主婦、事務職パートを経て、現在は学校図書館司書(新米)をしながら本をつくっています。
2024年5月よりnoteで発信活動を開始。
2026年1月、初めてのZINE『見えないものに流されて』を発表。
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レビュー
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